今世界で最も注目されているパティシエと言っても過言ではないセドリック・グロレ氏。
日本のテレビ番組や雑誌などでも目にする機会があるほどの人気で、instagramのフォロワーも2019年4月現在で120万人を超えている。
彼はいかにして現在の位置に辿り着いたのか、また彼の仕事の原動力とは一体何なのだろうか。
1985年ロワール地方のFirminy フィルミニーで生まれたセドリック・グロレ氏。
ロワール河や古城、ワイン畑が並ぶ風光明媚な土地育った彼。
小さい頃から祖父母の営むレストランを遊び場にしていたそうで、11歳の時には既にキッチンで泡立て器を持っていたそう。
13歳から本格的に見習いとして働き、将来はパティシエとして成功すること夢見るようになった。
当時はとにかくプロのパティシエというものがゴージャスで格好良く見えたらしい。また、勉強が苦手で先生に回答を求められると泣きたくなるほど辛かったらしく、それがより飲食業界へ向かう動機の一つでもあったらしい。
製菓学校に進み、コンテストなどに挑戦しながら経験を積み重ねていき、20歳の時に最高のパティシエを目指しパリに移り住んだ。
パリで最初に働いたのは老舗であるFOUCHON フォション。
数多くの著名パティシエを輩出したフォションでは当時シェフ・パティシエを務めていたChristophe Adam クリストフ・アダン氏の元、マカロンを作っていたそう。
クリストフ・アダン氏が抜けた後も、Benoit Couvrand ブノワ・クーヴラン氏やChristophe Appert クリストフ・アペール氏に師事しその右腕として世界各国の支店オープンに携わった。
フォションを辞めて2011年に移ったのがパリで最も古いと言われているホテル、Meurice ムーリスだ。
当時シェフパティシエを務めていたのはヤニック・アレノ氏と共にムーリスを三つ星に導いたCamille Lesecq カミーユ・ルセック氏。
彼の元でスー・シェフ・パティシエとして働いていたが、翌年にはカミーユ・ルセック氏が退職、気がつくと20名以上のパティシエを擁するムーリスのシェフ・パティシエとなった。この時セドリック・グロレ氏はまだ27歳という若さだった。
またレストラン自体もフランス料理会の巨匠であるAlain Ducasse アラン・デュカス氏のプロデュースとなり一つの転機を迎えた。
ペンを片手に何時間も自身のクリエーションを練り直していた。元々デザートを考える時はペンをよく使い、あるインタビューでは最も重要なキッチンツールはペンだと語ったほどだ。
というのもアラン・デュカス氏からデザートのメニューを任されたが、良いアイデアが浮かばなかったそう。
だがその時、アラン・デュカス氏から“高い技術や難しい技法は重要ではない、素晴らしい技術を持ったシェフは世界中にいくらでもいる。ただ、自身のスタイルやキャラクターを活かしたデザートを目指すべきだ”と言われた。
そこで、幼い頃からお菓子の代わりにフルーツをよく食べていた自身の経験や、自然とともに移ろいゆくフルーツそのものにインスピレーションを得た。
自然のままでも美味しいがその風味を濃縮させればもっと美味しいのではないかと感じ作り出したのが、フルーツの形を模し中にはフルーツのジュレやムースを詰めたデザートだ。
本物そっくりな見た目はもちろん、軽快でありながらそのフルーツそのものよりも鮮烈にそのフルーツを感じさせる仕上がりになっている。
その他にも正方形のケーキを組み合わせたルービックキューブのような作品や
放射状にクリームが絞られた美しいサン=トノレなど、彼らしい作品を次々と生み出していった。
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彼の作り出す美しく美味しい作品は多くの人々の心を魅了し、
2015年にはLe Chef magazineのその年の最優秀パティシエに選ばれた。
その後も2016年最優秀パティシエ(Relais Desserts)、2017年世界最優秀レストランパティシエ(les grandes tables du monde)、2018年最優秀パティシエ(Gault&Millau)、2018年最優秀パティシエ(The World 50 Best Restaurants)など世界中から世界最高峰の評価を得ている。
2018年にはホテル横にLa Pâtisserie du Meurice par Cédric Groletをオープンし、ますます注目を集めています。
今後の活動の一挙一動も目が離せません!
La Pâtisserie du Meurice par Cédric Grolet
Du mardi au dimanche À partir de midi
6 Rue de Castiglione 75001, Paris
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